乳がん治療の歴史

乳がん治療の歴史

2005年

 2005年は日本の乳がん治療において記念すべき年でした。1805年、ちょうど200年前、花岡青洲が日本初の麻酔薬を用いて、乳がん手術を行ったからです。そこで、以下の項から、乳がん治療の歴史を少し振り返ってみましょう。

ハルステッド手術

 乳がん手術で長い間標準治療とされてきたのは、1900年代初頭にハルステッドという人が提唱した手術法でした。これは疑わしいものは全て切除するという考えのもと、乳房はもちろん、大胸筋、小胸筋、さらに、当時乳がんはリンパ節を経由して全身に広がると考えられていたので、わきの下のリンパ節も全て除去するというものでした。  しかし、この手術は、肋骨が浮き出るなど術後の傷跡が目立つ上に、わきの下のリンパ節を郭清するため、腕の末端から心臓に向かうリンパ液の流れが阻害され、腕がむくんだり、感覚が鈍くなったりという後遺症に悩まされることも少なくありませんでした。  しかし、ハルステッド手術は約70年間の長きに渡って標準治療として継承され、そのため定型乳房切除術とも呼ばれました。

「乳がん全身病説」

 ハルステッド手術への評価が一変するのは、1970年代に入ってからです。大規模な臨床試験(正式には大規模無作為化比較試験といいます)が行われ、その結果、リンパ節転移は既に全身のどこかにがんが潜んでいることの指標であるという、フィッシャーたちが唱えていた「乳がん全身病説」が証明されたのです。更に1980年代に入ると、早期乳がんに対しては、乳房を切除しても温存しても、治療成績に差がないという試験結果が相次いで発表されました。これが乳房温存療法の普及のきっかけとなり、乳がんは小さく切除して直す時代に入ったのです。

郭清(かくせい)

 「郭」という字は、「囲い」や「外まわり」という意味です。リンパ節は脂肪組織の中に埋まっていて、肉眼で見分けるのが困難です。そのためリンパ節だけを切除することはできず、周囲の脂肪組織ごと切除します。切除後、指で探りながらリンパ節を取り出し、病理医にまわします。

温存療法

  ハルステッド手術は次第に減少し、1990年代の初めには乳房温存手術と逆転が始まり、現在はほとんど姿を消しています。現在では、乳がん手術が行われる全国平均の約半数が乳房温存療法ではないかといわれています。病期(ステージ)Ⅰ期、Ⅱ期の乳がんに対する標準治療が、現在ではこの乳房温存療法でしょう。  がんの大きさが5cm以下(後の項を参照してください)であれば、基本的に温存療法が可能です。これは、5cm以下であれば全員乳房を残せるという意味ではありません。乳房を残せるかどうかは、乳房の大きさとがんの大きさのバランスによって決まります。つまり、手術でがんの取り残しがなく、しかも美容的にも満足できる状態で乳房が残せると予測できれば、乳房温存療法の対象となるわけです。

乳房を残せるがんの大きさの目安

 日本の「乳房温存療法ガイドライン」には、「3cm以下」ということになっています。ただし、3センチ以上でも患者が温存療法を希望する場合は、十分な術前・術後治療ができるかどうか検討する、という注意がついています。このガイドラインがつくられたのは1999年で、もう古いことと、本来、何cmという大きさで決められるべきでない後の項で説明します。



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